【さかもと未明画伯のアート超入門】「大きくなったら漫画家になる!」プロへの原点は小学生時代の通信教育

 漫画家にして作家。時には世間を騒がす話題も振りまきつつ、アスペルガー症候群、膠原病など度重なる病を乗り越え、歌手に画家などアーティストとして進化し続ける筆者が「芸術のお手ほどき」という新境地に挑戦します。

 

”精緻な美しい”絵本に囲まれて育つ

 さて、音楽の方は、ほとんど素養を与えられなかった少女時代ですが、絵の方は、ちょっと恵まれていたかもしれません。というのも、母が大の読書好き&漫画好きだったので、「家が貧乏でも子供に本だけは読ませたい」と、熱心に世界文学全集や、定期刊行の綺麗な幼児向け絵本を購読して読ませてくれたんです。

 小学校に上がる前、毎夜母に読み聞かせしてもらった藤城清治や岩崎ちひろの絵本の美しさは、もはや遺伝子レベルで私の記憶の奥深く刻まれています。今の児童書の棚には見かけませんが、「モチモチの木」とか、「ムクドリの夢」とか、今でもいくつかの絵がイメージされます。海外のアンデルセンやグリム童話の翻訳絵本に使われれていた挿絵も、今思うにデュラックやドレではないかという、たいそう美しくて精緻な本を読み聞かせてもらいました。  

藤城清治、岩崎ちひろ、、記憶の奥深くに刻まれ

 いわゆる子供向けの絵本の、絵の具のチューブから出した原色のままの色なんかじゃなかった。微細な中間色のグラデーションで描かれていて、例えば人魚姫が「人間になりたい」とお願いしに訪ねる魔女の洞窟に置かれている魔法の薬の小瓶なんかが、何とも精緻かつ印象的な鮮やかな色で、いかにも「効きそうな魔法」の雰囲気に満ち満ちてました。 

幼少期。祖母と七五三のお祝いで川崎大師に。父がいないのでふくれっ面

 グリム童話の挿絵なんかもとにかく怖くって。「なんでこんなに人間そっくりに描けるんだろう」と穴が開くほど絵を見つめていた記憶があります。あと、私たちの時代はまだ、「舌きり雀」も「猿かに合戦」も、子供向けにソフトになってませんでしたから、残酷テイストてんこ盛り。そりゃ怖かったもんですわ!

「むき出しの世界」「陰影のある絵」を子供のころから

 脳がものすごい勢いで発達する幼少期に、「子供向け」では無い、繊細な色や複雑な絵、深い陰影。さらに「悪いことするとこうなるでえ!!」という「地獄の思想」を叩きこまれるのって、猛烈に大切だと思います。「今の若い子は」なんて言い出したらもうババア全開ですが、若い皆さんを「気の毒だなあ」と思うのは、そういう「むき出しの世界の姿」や「陰影のある絵やお話」を小さい頃に与えられていないのかも、という点です。

 これがあるとないでは大違いですから、今まさに子育てしているお母さんたちは、ぜひソフトになっていないオリジナル童話や江戸川乱歩みたいな世界を子どもに読み聞かせてあげてほしいですし、もう大人になっちゃった皆さんは、是非「本当は怖いグリム童話」的な原典に当たって、自分の魂の成育歴を再構築していただきたいですね。そうすればコロナ禍がどうのなんて、多分そんなに気にしないで生きていけると私は思います、人間の歴史の中でもっと残酷で悲惨なことなんて、いくらでもあったわけですから。

サンケイ新聞で連載された手塚治虫の漫画に夢中

 さて、そんな母の元、私は最初に読んだ漫画にも恵まれていました、それは昭和44年、私が4歳の時から産経新聞(当時の題字は「サンケイ新聞」)に毎日連載されていた手塚治虫の「青いトリトン」。後に「海のトリトン」としてアニメ化されたんですが、これがなかなか深くって、大人が読んでも子供が読んでも、夢中になれる内容なんです! 本当に当時の日本の漫画はレベルが高かった! 殊に手塚治虫先生は別格。とにかく深い!

サンケイ新聞に連載された「青いトリトン」の第一話

 まだ漫画の単行本なんかない時代ですから、母はその毎日の連載を大事に切りとり、米びつに残ったご飯粒を水としゃもじで伸ばして糊を作り、大切にスクラップして読んでいました。私もそれを見せてもらうのがすごい楽しみで、乱暴に扱うと新聞紙は直ぐに破れてしまうから、大事に大事にページを捲ったのを覚えています。。。。って、「さかもとさんて、いくつなの?」って、言いたくなりますよね(笑)。

円谷プロ、、アニメもとにかく面白かった!

 私が生まれたのは昭和40年。まだまだ「三丁目の夕日」そのままの世界。オイルショックの少し前で、為替レートは1ドルが360円だった時代です、今の中国がそうなように、日本製品が安くて輸出が伸びたのも当然。貧しかったと思うけど、豊かさへの憧れと夢、活力が社会にありました。そんな育ち盛りの子供みたいな成長期の日本に私は生まれ、漫画界の黎明期の、恐竜みたいな才能に触れて育ったんです。夕方から始まるアニメも、円谷プロが作る実写の戦隊ものも、とにかく面白かった! だから、私だけでなく、母親も「大きく成ったら漫画家になりたい」なんていう私の言葉に付き合ってくれたんだと思います。

日本漫画学院(当時)の通信教育が漫画家への第一歩でした

漫画の通信教育が人生を決定付ける

 私が小学校三年生位だったでしょうか。ある日母が、少女雑誌のどこかに出でいた通信教育を見つけて指さしました、そのころの少女漫画雑誌の裏表紙は、大抵「日ペンの美子ちゃん」という、ボールペン習字のカラー漫画が載っているのが常でしたから、多分の中の白黒頁だったと思いますが、「日本漫画学院」という、子供向けの漫画の通信教育の講座の広告が載っていたのです。代々木アニメーション学院なんて誰も想像しない時代の話ですから、それはかなり斬新な通信教育だったと思います。漫画ですから、権威もへったくれもありません!  でも、その広告はとても魅力的に輝いていました。そしてそれを、母は指さして言ったのです。

 「これ、勉強したらいいんじゃないの?」

 「ええっ、イイの?」

 言われた時のうれしさったら!!

 母もそんなに深くは考えていなくて、当時私が転校先の学校で苛められて泣いてばかりだったから、少し気を紛らわせてやりたいとか、その程度の事だったと思います、でも、このことが私の人生を決定づけたんです!

 母は直ぐに教材費を振り込んでくれ、やがて私の自宅には、緑の立派なバインダーに綴じられた教科書、練習帳、課題提出用紙が届けられました。それから漫画用のペンとペン軸が入学祝いでついていたかな? 

一生懸命練習しました

 そこは忘れましたが、教材一式が届いたときのうれしさは忘れられません!! まだ製図用インクでなく、墨汁で漫画を描くのが主流だった時代なので、母が持っていた墨汁も譲り受けました。それをペン先につけて、線を引いたときの興奮。最初はうまくいかなくて線が続かず、やがてポタポタと墨汁が丸くしみになってこぼれてしまうことの繰り返しです、でも続けるうちに、次第にきれいに線がひけるようになっていくんですね、、。。それからほとんど半世紀を過ぎた私の毎日も、同じ興奮と悪戦苦闘の繰り返し。でもそれを飽きもせずにやれているから、つまりは向いていたんでしようね、、、。おそらくは9歳か10歳くらいで始めたこの習い事が、ついに私の人生を支配することになったのです。

漫画家となって、アニメと合体したPV「Night in Tunisiaも作りました。ぜひ見てください★チャンネル登録もよろしく!

こちらもアニメと実写のMIXです。アニメ監督として今はとても有名になった高嶋友也との作品です!

ぜひこちらも聴いてください「la magie de l’amour」

「Night in Tunisia」は、最新アルバム「MOULIN ROUGE」に入ってます。購入はこちら!

 ■さかもと未明(さかもと・みめい) アーティスト。1965年横浜生まれ。神奈川県立厚木高校卒。玉川大学英文科卒業後、商社勤務を経て漫画家に。その後、評論活動やテレビ出演も多くコメンテーターとしても活躍、歌手デビューも果たす。2007年に膠原病と診断され、発達障害だったことも明らかに。画家としても本格的な活動を開始した。

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