【さかもと未明画伯のアート超入門 ⑧】40年前の出会い、、思えば遠くへ来たもんです!

 漫画家にして作家。時には世間を騒がす話題も振りまきつつ、アスペルガー症候群、膠原病など度重なる病を乗り越え、歌手に画家などアーティストとして進化し続ける筆者が「芸術のお手ほどき」という新境地に挑戦します。

 

どん底だった高校時代

 皆さん!! ご無沙汰してすいません。おかげさまでフランス美術界の登竜門といわれる「サロン・ドートンヌ」に入選させていただき、パリで個展を開かせていただくなど、色々忙しい日々でした!!  そのため、まったく原稿を書く時間が取れませんでした。

 「昨年8月の記事に続けてパリ紀行がタイムリー?」とも思ったんですが、ここで過去を振り返ることも大切なのではと。だって、56歳でパリで個展までできるようになったけど、16~18歳の頃、つまり40年前、そんなこと思いもしなかったですもの!!

高校時代のワタシ。イケてない

 いまの時代、コロナ禍で経済的に道が閉ざされている方も多いと思いますが、今は辛抱の時で、でもみんなの人生がそれぞれ大切。格差問題も深刻となり、進路に悩む若い人も多いと思います。どん底に思えた時期もあった私の経験を読んでもらい、少しでもみんなに元気をもってもらいたいんです!

 なので、今回は40年前の高校時代、そして次回に大学時代と家を飛び出すまでの話を書きます。

 さて、41年前(今56歳なので)の昭和55年、私は厚木高校という神奈川県でも屈指の進学校に合格しました。でもその高校生活は実に暗いものでした。

不登校は「甘え」。なかなか理解されません

 父は祖父を早くに失くしているので進学できず、商業高校から船舶会社に就職。母も七人兄弟の長女でお父さんは板金工。生活に余裕があるはずもなく、中学を出て一度就職し、自分でお金をためて夜間高校に入り直しました。だから両親は大学入試のノウハウなんて持っていませんでした。ただ、二人とも終戦後5年くらいで成人しいますから、当時としては普通だったんだと思います。

 そんな両親からは「高校を卒業したら就職しなさい」、「漫画だの絵だの夢みたいなこと言ってないで、普通の就職を考えなさい」と言われ続けました。

高校時代に描いた風景画です

 高校ではすぐに勉強についていけなくなって不登校が始まります。でも、「頭が痛いから学校に行けない」「ご飯を食べられない。食べても吐いてしまう」と言っても、「甘え」と切り捨てられ、「精神科なんてとんでもない」と、内科から精神科に紹介された時、通院は禁じられてしまいました。

 「お母さんたちの頃はね、戦争で学校にも行けなかったの。食べ物だってなくて、どれだけお腹を空かせていたか。食べ物があるのに食べられないなんて、許されないわ。世界でどれだけの人が飢えていると思うの?」と正論を並べ立てられると、返す言葉がありませんでした。

 母はいつも、恐ろしいほどに正しかった。でも、今思うと、母も辛かったんだと思います。「自分は学校に行きたくても行かせてもらえなかったのに、なんで自分の子供は学校に行きたがらないんだ。いい時代に生まれたからって甘えている。悔しい。」そんな思いでいたんじゃないかと思います。

絵をほめてくれた放送部の友人に救われました

 でも、私も私なりに辛かったんです。

 学校に行っても保健室で寝ているか、たまに授業に出ても後ろの席で窓の外から中庭の池を見て、「絵の道具があれば、水紋や鯉を描いてみたいなあ」なんて考えたり。あとは「卒業してから、どうやったら自活できるか」を悶々と考えていました。でもいいアイディアは浮かばず、気持ちはどんどん沈んでいきます。

「芸大に行ける」と言われたこともあります

 一度は美術部に入り、親にさんざんねだって買って貰った油絵のセットで一枚の静物画を描き上げました。リンゴとかみかん、動物の頭蓋や木の枝とかを布の上に乗せて描く、質感表現の練習です。中々評判よく、先輩と先生に「芸大に行けるわ」と絶賛してもらいましたが、続きの絵の具を補充するお金も貰えず、木炭やカルトン(画板)もほしいと言うと「やめなさい」と言われてしまいました。

 美術部とは縁が切れ、何となく誘われて「放送部」に入り浸るようになりました。

 放送部では何をするでなく、先輩や同じ学年の部員と音楽を聴き、話をしていただけでしたが、これがなかったら、高校生活、友たちはゼロだったです。美術部みたいに本格的な道具を使わず遊びで描いた水彩や鉛筆画をほめてくれたのが、とても嬉しかった。

タイムカプセルには「もうすぐ死ぬ」

 このときの放送部の先輩や友人とは、現在も交流があり、漫画家になってからローマ帝国やユングを題材として描くときの監修の先生を紹介してもらったり、家族ぐるみのお付き合いをしている方もいます。

簡単に描いた絵もほめてもらいました

 こういう話し相手に恵まれなければ、私は本当に生きていたかわからないと思います。当時「30年後の自分手紙を書くという「タイムカプセル」企画があったんですが、私は「もうすぐ死ぬので」みたいな手紙を書いていたんですね。。30年後にカプセルを開けてそれを見た実行委員の方が心配して、私の実家の住所に送らず、出版社を通して私に直に送ってくれました。その時は本当に迷惑かけてすいませんでした!!

あなたには治療が必要です

 同年代だけでなく、大人の話し相手にも私は恵まれました。ひとりは最近亡くなられましたが、近くの病院のカウンセラーの先生。私は親に精神科に行くことを禁じられましたが、あんまり辛くて「死にたくなるんです。学校いけない」とそのカウンセラーの先生を訪ね、数回受診したことがあったんです。その先生が「あなたには治療が必要です」と学校側に話をしてくれるなどしてくれました。私はその先生のカウンセリングでどれだけ救われたことでしょうか。

 幼年期から中高生くらいまでは「親に認められないと、世界は絶望」なのが現実。でも、高校出ると親の価値観が全てでないと言ってくれ、私の考え方や夢を肯定してくれる大人に初めて会えたのです。これは大きな支えでした。

 それから高校二年の夏休み、アルバイト先で出会ったお兄さんにもものすごくよくしてもらいました。本来私のいた高校はバイト禁止。でも高2の夏休み、親に頼むと「働けば?」と、認めてもらえたのです。

 当時母親に「昼食代」として渡されるのは月5千円。私はお昼を食べないでそれを貯めて、僅かな画材を買っていましたが、それでは漫画に必要なスクリーン・トーンなども買えませんでした。私はとにかく働き、画材が買いたかった。

お弁当屋のバイトで知り合ったお兄さん

 ただし学校の制服とジャージくらいしかもっていなかったので、華やかな喫茶店のウエイトレスなどはムリ。私はお弁当屋さんの、食器洗いのバイトをすることにしました。これならお弁当工場の中で、白衣とゴム長靴にゴムのエプロンで出来ます。帰りに繁華街でお金を使ってしまうこともない。働いている合間のご飯は賄いで済みましたから、お給料は安かったけれど、夏休みに10万ちょっとをためることが出来ました。

これも高校時代の水彩画です

 そこで知り合った12歳年上のお兄さんが、「まだ高校生なのに、なんでこんなバイトしているの? 僕は今度駅の近くのコーヒー屋さんの店長になるから、いつでも遊びにおいで、ただでコーヒー飲ませてあげる。大学生になったら働きにおいで」と言ってくれました。

「夢はまずトライするべき」

 後に入学した玉川大学ではジャズの薫陶を受けた私ですが、このお兄さんには、いきなりプログレッシブ・ロックの薫陶を受けました。他のお客さんがいるときは、リチャード・クレイダーマンなどのイージーリスニングを流していますが、お客さんかいなくなるとレコード・プレーヤーに「ピンク・フロイド」とか、「エマーソン・レイク&アンド・パーマー」なんかをかけて聞かせてくれました。そして、私が「親に就職しろって言われるけど、したいことないの」と悩み事を話すと、「いい高校にいるんだから、大学行きなよ、いけるよ。奨学金もあるし」と励ましてくれました。そして、「かつていわゆる不良少年で高校中退した自分が、今ここの店長になれたのは超ラッキー。就職はものすごく大変。学歴は大切だよ」と話をしてくれました。そして、「夢はまずトライしてみるべきだよ、絵も見たけど上手だよ。人生一回しかないんだから」と言ってくれました。

 このお兄さんは、小学生の時の家族旅行以来、親にどこにも連れて行ってもらったことのない私を、テニスとか、どこだったか遊園地のプールに連れて行ってくれました。「水着がない」と言ったら買ってくれましたが、家に置くと親に見つかるので、お兄さんの家に「(高校を卒業する)来年のために」とっておいてと頼みました。あの青いワンピースの水着はどこに行ってしまったのでしょうか。私は、何となく始まりそうな恋の予感にドキドキしたものです。

初恋には破れました、、、

 やがて、お兄さんの勧めに従い、私は私立の大学を受験することにし、「合格するまで半年はコーヒー屋さんに行かないで勉強します。合格したら遊びに来ます」と宣言しました。彼も賛成しました。

 そして大学にめでたく合格、「喜んでもらえる。。大学生になったらもしかして、、」とお兄さんに連絡すると、「この半年で女子大生の彼女が出来て、子供が出来ちゃったから、結婚することになった」と、告げられました。若い頃の半年間の、なんという重みでしょう。

 「奥さんになる人は、実は大学3年生で。卒業まであと1年だけど、大学はやめるっていうんだ、僕のせいだけど、もったいない。君はちゃんと大学を卒業してね」と彼は言いました。私は「高校生ならエッチできないけど、大学生ならよかったの? 私だってもう大学生なのに!」と思いましたが、時すでに遅し。人生の交差点を私たちは、別々の方向に通り過ぎていました。

 初恋は敗れましたが、そのお兄さんと話す楽しみに救われて、私は死にたい思いを忘れていました。それで大学受験も頑張れた。彼に会わなければ、私はどうなっていたか。

認めてくれる友達、パートナーを探して!

 絵の話からは逸れてしまったかもしれませんが、今回言いたいことは、夢に向かっていくとき、一人でいいから自分を認めて前向きな発言をくれる友達やパートナーを持てたら、何より助けになると言うことです。

 私の母は「夢はかなわないから夢。人生は思い通りにならない」という考えを持った人でした。確かにそういう部分もあるでしょうし、彼女も自分なりに頑張った末に、そういう考えを持つようになったのかもしれない。でも私は、人生これからの子供や次世代の人に言う言葉じゃないと思います。

 「どうせ無理」と思いながら、金メダルを取るスポーツ選手がいないのと同じで、まずは「金メダルを取るつもりで頑張ってみるべき」と、私はアートを目指すみんなに言いたい。頑張っていると、道が見え、助けてくれる人が現れます。さらにスポーツと違って、一番二番の順位でなく、そのひとなりの個性で価値を認められることがあるのがアートですから、活路はいくらでも見出せます!

 そして、本当に友達は宝。みんながそれぞれ貧乏でも、「Aくんの実家が広くて練習できる」とか「Bくんのお兄さんが使わなくなった楽器や絵の道具がある」とか、「Cちゃんのおじさんが古道具屋で、何かしら必要なものを安く手に入れられる」とか、仮にお金はなくても「夢を実現する道」は、見つかる可能性があるんです!

チャンスつかむまで努力忘れず

 周りにじわじわ活動を知ってもらうと、「そういえば漫画描いてるって言ってたね。おじさんの友達に出版者に勤めている人がいるから会ってごらん」とか、、、、。チャンスはそんな風にして見つかっていくものです!

 大切なのは、そういうチャンスが巡ってきた時に見せる作品があること。あるいは歌の修練などをしていて、オーディションに挑めるということ! 「どうせダメたから」と、努力しなかった人が夢を実現することは、永遠にありません。

 確かに多くの人はプロにまではなれないかもしれません。でも、最初からあきらめていたら、つまんなくないですか?  せっかく生まれてきたんですもの、したいことをまず試してみたらいいじゃないですか? 死にたくなったりするのは、本当にしたいことを「どうせ無理」とあきらめてしまったからかもしれません。頑張ってだめだったら、「才能なかった!」と、きっぱり自分で納得出来る。あるいは、「プロはムリだけど、仲間と毎週セッションして、年に一度はみんなでホールを借りてチケットを売る。セミプロならなれる」とか、自分の立ち位置って掴めるもんです。

自分で結論出すまでやってみよう!

 人に言われると腹が立ったりしますが、自分でやってみて自分が出した結論なら、受け入れられるもの。周りに「プロはムリ」と言われて諦めたものの、「本当なら自分だって」と思い続けるなんて辛すぎますもの。自分で結論を出すまではやってみるべきじゃないでしょうか。

 アートをめざす人に言いたいことは、「親が反対するから」など、親や環境のせいにして諦めたり、「どうせダメ」なんて考えないで!」っていう事。

 「貧乏でも、人脈なくても、学歴なくても、アートに真剣に向き合えば、何かが見つかる」ということを信じてください。やめる場合も自分でやってみてから、納得してやめてください。そうしたら、前に進むにせよ、別の道を行くにせよ、すがすがしい気持ちで生きていける筈ですから!

★★ 1971年代のアメリカ映画「おもいでの夏Summer of ’42」のテーマ「L’été 42」を歌っています。本文に書いたようなちょっと切なくて苦い若い頃の思い出はみんなあるんじゃないでしょうか → 動画はこちら ★★

★★サン・メダール教会前の広場で La Vie en Rose を歌わせてもらいました → 動画はこちら★★ 

漫画家となって、アニメと合体したPV「Night in Tunisiaも作りました。ぜひ見てください★チャンネル登録もよろしく!

こちらもアニメと実写のMIXです。アニメ監督として今はとても有名になった高嶋友也との作品です!

終わらない自分探し感が出てるかな? PV「Charade」 楽しんでください!!

「Night in Tunisia」は、最新アルバム「MOULIN ROUGE」に入ってます。購入はこちら!

 ■さかもと未明(さかもと・みめい) アーティスト。1965年横浜生まれ。神奈川県立厚木高校卒。玉川大学英文科卒業後、商社勤務を経て漫画家に。その後、評論活動やテレビ出演も多くコメンテーターとしても活躍、歌手デビューも果たす。2007年に膠原病と診断され、発達障害だったことも明らかに。画家としても本格的な活動を開始した。

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